ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、
そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。
主は言われる、「貧しい者がかすめられ、 乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、 彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。
主はしえたげられる者のとりで、 なやみの時のとりでです。
神はわれらの避け所また力である。 悩める時のいと近き助けである。
主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。
あなたは、あすの朝、パロのところに行きなさい。見よ、彼は水のところに出ている。あなたは、へびに変ったあのつえを手に執り、ナイル川の岸に立って彼に会い、
王の心は、主の手のうちにあって、 水の流れのようだ、 主はみこころのままにこれを導かれる。
まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。 怒りの余りをあなたは帯とされる。
すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。
主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。
あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」。